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いただきものつづき

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Sさんよりいただきましたポンパドールのドーナツ。
こちらもベストセラーですね。素朴で懐かしい味です。
高校生のころはよくこことドンク、あとぽるとがるのパンを食べてました。いやあ懐かしい。
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Sさんより、ちどりのおからのベーグルいただきました。
こちらはおからが30%もはいっていてバターや卵ははいっていないそうです。
Sさんは本格的にマクロビの勉強をされていた時期があったりして、食やアーユルヴェーダ的なお話がいつも興味深いです。
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Iさんよりいただきました、大森克己さんの写真集「Cherryblossoms」とレーモン・クノーの文体練習という本。

cherryblossomsを開くとまず最初のページに「眼は心臓が知る以上のものを見る」というウイリアム・ブレイクの言葉が添えられており、その後のページはすべて桜の写真のみのという構成になっています。
ひとことで桜といっても、住宅街の桜、校庭の桜、水たまりに浮かんでいる桜の花びらやアスファルトに落ちてつぶれた桜の花びら、ビルの間の桜、(おそらくは)自生している山桜、渓谷の桜、満開の桜、枯れている桜、etc..場所も時期も異なるさまざまな表情の桜を楽しむことができます。

僕はまず被写体そのものの美しさを楽しみ、そしてそのあと、まるで違う人の作品がランダムに紛れ込んでレイアウトされているようなそんな不思議な違和感を感じました。
全体的に青白く輪郭が少し曖昧でまるで夢うつつのような撮り方や、
色彩や輪郭がはっきりとしたわりと現実的で日常的なイメージのもの、
遠くの桜の木々や空をバックに白やピンクのハレーションで実際にはない桜の花びらを表現しているようなものなど、撮影者はある一定の理性を保ちつつも、そのとき自分が見たいようにまたは見せたいように対象を撮っています。

これらはすべて同じ種類の花で同じ撮影者ですが、これだけ印象が違って見えるというのは、桜を見る人の数だけ、いやもっと細かく言うとその観察者×瞬間瞬間の心の状態の分だけの桜の”イメージ”があるということでしょうか。
それはありのままの桜を見ていることになるのでしょうか。
私たちは普段いったい何を”見て”いるのでしょうか。

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ここでまたウイリアム・ブレイクの一文が思い浮かびます。
しかし、そんな分かりきった言葉はもう、どうでもいい気がしてきました。

桜の花は存在自体がただ美しいのです。

こちらの写真集は待合の本棚に置いてあります。気になった方は是非手にとってみてください。

レーモン・クノーの文体練習はまた後ほど感想を書くことにします。

みなさん、素敵な差し入れ本当にどうもありがとうございました^ ^